3.11 から 8年

2019.03.11 Monday 21:52
0

    東日本大震災から8年が過ぎました



    8年前


    「あの時もし◯◯だったら…」と

    後悔する人

    救われた人


    さまさまな思い。。。



    …………………



    人生にはいつも分かれ道があります

    Aという選択

    Bという選択


    常に選択の繰り返し。


    どんな選択をしても結局は

    実は人生は変わらないのではないか

    と思うことがあります


    その人の目的地が同じであれば

    そこへの道はどこを通っても

    つく場所は同じなように…


    私は

    苦しみには意味があるといつも

    思います。


    苦しみはなくならない

    でもその苦しみの意味を見つけることが

    苦しむ理由じゃないかと

    私は思います。


    苦しみを避けることはできない

    なら。向き合ってみる。







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    相手に感じるものは私の心 12

    2019.02.13 Wednesday 12:47
    0


      【質問】


      相手を通して、自分を見ている、ということについて、教えて下さい。  


      【回答】


      人は自分の心で、世界を見ます。少し自分のことを冷たくされただけで、私達は唯識で、相手は自分のことが嫌だから、こんなことをしたんじゃないか、と思ってしまうことがあります。


      相手は、自分のことを嫌ではないのか、と思う心が唯識です。


      このように思うのは、日頃から、相手は自分の存在を嫌だと思っているのではないか、という声なき声が聞こえているから、ちょっとした縁でも、そのように思えてしまうのです。


      本当は、相手は私のことを嫌とは思ってはいないかも知れないのです。


      それどころか、逆に大事な存在だと思っているかも知れないのに、自分の思い込みで、相手はこう思っているのだ、と思ってしまうのです。


      自分の思い込みを信じて、本当はそれは違うのではないか、と思うことがないのです。


      そして、自分のことを嫌だと思っているに違いない、ということを前提として、こんな風に思われるならば、もうこの人と一緒にいたくないと思ってゆくのです。


      他人の心は、本当は分からない。


      だから、この人はこう思っているのではないかと、他人の心を判断しているのは、他人の心を通して、実は自分の心を見ているだけです。


      つまり、相手は、こういう人間だ、ということではなくて、自分はこういう人間だ、ということです。


      だから、それに対して、あれこれ思うのは、自分に対して思っていることなのです。


      例えば、相手は自分のことを嫌だと思っているのではないか、と思うのは、自分が思い通りにならない相手に対して、


      それが自分であれ、他人であれ、嫌だと思っていることであり、そんな嫌なものに対して、見たくないと思っている、ということです。


      思いを見れば、自分の心が分かります。


      唯識の教えを思い出し、自分が見ている相手は、自分なのだと思って、自分の心を見てゆかなければならないな、と知らされます。



      僧侶

      甘える…その奥の心理

      2019.02.12 Tuesday 12:05
      0

        一年で一番寒い2月ですが

        今日の仙台は日差しがさしてます


        関東は昨日雪が降ったみたいですね

        東北人の私達は慣れてますが

        慣れない雪道足元どうぞ気をつけてください



        本当に親というものは

        何年たっても離れて暮らす

        子どものことを一日も思い出さない日は

        ないですね〜

        我が子を思う母心でした(*´-`)




        ……………



        最近ある出来事があり

        「甘える」ということを

        じっくり考えさせれる日々ありました



        皆さまが普段使っている

        「甘える」=「頼る」

        と思ってますよね


        わたしは最近の経験から

        甘えるとは相手に頼るのはなく


        大人が大人に甘えるとき

        それは「相手を支配したい」という

        思いが隠れてると感じました


        例えば

        妻が夫に甘えられていると感じて

        腹が立ったとき

        また

        上司が部下に甘えられていると感じて

        嫌な気持ちになったとき


        それは

        「支配されている」と

        人は感じるのではないかと思います


        だから人によっては

        甘えられてると違和感や嫌悪感に

        なるのではないか…



        甘えてると思われてる本人は

        甘えてるつもりはない。

        しかし

        甘えてると言われたとき

        それを「支配しょうとしている」という言葉に置き換えてみるとしっくりくる。。



        これは

        受け取る側の認識にもよる時もある


        相手は甘えてないのに

        嫌な気持ちになるとき

        自分が支配されていると認識してしまう


        多くの人間関係は

        支配する側とされる側で成り立つことが

        よくある


        威圧的に相手に言ってるときは

        わかりやすい


        むしろ厄介なのは

        「甘えという支配」かもしれない









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        再婚 子どものきもち

        2019.01.30 Wednesday 14:53
        0


          現在は3組に1組が離婚する時代で

          離婚は珍しくないし

          ひとクラスに数人はひとり親ですね



          離婚をした時は

          もう二度と結婚なんかしないと思うひとも

          多いと思いますが

          時間や年月が経つにつれ

          再婚を考えるひとは多いですね



          ここでは

          親が再婚した、

          「子供の気持ち」

          をお伝えします



          結論からいうと子どもたちの心は

          例外なく傷ついています

          でもそれを言葉に出さない子も多い



          また小さい子どもほど

          「パパ(ママ)欲しい?」と聞いたら

          当然「うん!欲しい」と言います


          でも子どもは

          それがどういう事かは

          わからずに返事してます。


          それで親は

          「子どもも父親(母親)を

          欲しがっているから」と

          自分が再婚したい気持ちを

          正当化します


          どんなに優しい再婚相手でも

          子どもにとっては

          「他人」がある日から

          同じ家で暮らすわけですから。。。


          いろんな意味で傷つきます。


          でも再婚してはいけない

          というわけではなく


          大切なのは

          再婚は子どもの為と

          勘違いしないで



          再婚するのは

          親自身が「自分のため」と自覚する

          ことが大切だということです

          劣等感 11

          2019.01.29 Tuesday 14:12
          0


            インフルエンザが流行ってますね

            今年は多いようですね…


            「今度は私の番か」と

            毎年インフルエンザに怯えて



            かれこれ20年かかってない…



            ……………

            心理学者のアドラーは

            人間の苦しみは

            劣等感からくるものがほとんど

            と言ってます


            じつは

            その劣等感は

            お釈迦さんも同じことを言ってます



            【質問】


            劣等感は、なぜ、起きるのでしょうか?


            【回答】


            劣等感は、なぜ起きるのか。


            劣等感とは、自分の中で、嫌な部分が見えると、自分には、こんな悪い所があるから、ダメなのだと思う心です。


            劣等感が起きるのは、自分が上に立つ為に、他人を否定するから、と言えます。


            その時、この人は、こんな悪い所があるから、ダメなのだと否定します。


            なぜ他人の価値を下げるのか、と言いますと、それは他人を下げることによって、自分が上になれるからです。


            私達は、自分よりも、下の人を見ると安心します。


            それは何故かというと、自分が上に立つことによって、自分には価値があるのだ、と思えるからです。


            なぜ、それほどまでに私達は価値にとらわれるのでしょうか。


            それは、価値のある人は、他人から、大事にされて、見捨てられないと思えるからです。


            自分は、周りの人から相手にされていないと思う人ほど、価値にとらわれます。


            価値があれば、自分は、皆から大事にされると思っている。


            だから、皆から大事にされたいから、皆から認めてもらいたいから、他人よりも、上に立とうとします。


            そうして、他人の上に立つことによって、その時は自分は価値があるのだ、と思えるようになって、安心します。


            しかし、上に立ったから、と言って、皆から認めてもらえる訳ではありません。


            皆から相手にされないのではないか、と不安になり、その不安から、自分が上に立とうとする。


            結局、劣等感が生まれるのは、どうしてかと言いますと、自分は見捨てられるのではないか、という不安から、自分は相手にされていないのではないか、という不安から、起きて来るのです。


            この不安から、私達は、自分よりも下の人を作ろうとしてしまいます。


            自分の周りの人を見て、ダメな所を探そうとします。


            そして、ダメな所を探して、こんなダメな所があるから、この人はダメなのだ、と安心する。


            他人を下げることによって、その種蒔きが、唯識で跳ね返り、ブーメランのように、世界から自分のダメな所を否定されているように感じて苦しむようになります。


            結局、他人に向けられた感情が、そっくり、そのまま、自分の元へと返ってくるのです。


            劣等感は、自分が上に立ちたいという思いから、その思いが跳ね返って、自分の嫌な所が気になるようになり、こんなダメな所があるから、自分はダメなのだ、と思ってしまいます。


            他人を否定したら、唯識で跳ね返り、自分も否定されるように、世界から感じて、そして実際に周りから、否定されるようになっていくのですね。



            僧侶



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