人間関係の悩みのツボ 14

2019.04.11 Thursday 15:07
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    【質問】


    人間関係の苦しみ悩みの正体は、何なのでしょうか?


    【回答】


    人間関係の悩みには、ツボがあります。


    人間関係で苦しみ悩んでいる人が、世間には多く存在します。


    多く人は、苦しみ悩みの原因を、外の出来事、環境や人に求めていますが、真実から言うと、苦しみ悩みの原因は、すべて自分の内側にある、自分の心にある、と説くのが、仏教です。


    人間関係の苦しみ悩みの正体は、外の出来事、そのものではなく、苦しみ悩みを作っている心であり、その出来事を辛い、問題だと感じる心なのです。


    これを一つの譬えでいうと、花粉症になぞらえたら、分かり易いのではないかと思います。


    春になると、大量のスギ花粉が飛散しています。


    Aさん、Bさんがいたとします。


    Aさんは、花粉に体が反応して、くしゃみが止まりません。


    Bさんは、花粉が飛んでいることさえ、分かりません。


    この場合、Aさんにとって、花粉は、問題です。しかし、Bさんにとっては、問題ではないのです。


    世の中に花粉が飛んでいるという事実は、変わらないのです。


    つまり、花粉そのものは、問題ではないのです。


    本当の問題は、花粉に反応してしまうAさんの中にこそ、あるのです。


    花粉症の人は、体の中に花粉に対する抗体があるから、花粉に反応します。


    だからといって、花粉症の人が、自分の周りから、花粉という存在を、一切なくそうとしても無理です。


    せめて、マスクをして、少しでも入ってくる量を減らす位しか、出来ません。


    避けて通る訳にもいきません。無視しても、無視は出来ません。


    やはり、一番効果的なのは、自分の体質、つまり、自分を変えることでしょう。


    人間関係の悩みも、これと同じです。


    人間関係の問題も、同じように、ある特定の他人や、出来事に反応する人は、その言動や出来事に対する抗体があるから、反応するのです。


    その抗体が、悩みの種です。


    ところが、人間関係においては、相手の言動に反応して、必死で相手を責め立てて、相手を変えようとします。


    花粉をなくそうとするように。


    当然ですが、いくら他人を責め立てても、相手は、全然、変わりません。余計に状況が悪くなるだけです。


    何故なら、その相手が問題なのではなく、その人の言動を問題と感じる、反応していることが問題だからです。


    人間関係に悩み、しんどい、と思う時、それは、あなたの心が、何かに反応している、ということです。


    その何かを見極め、体質を改善することが、大事なのです。


    心にも花粉症がある、ということです



    僧侶


    議論の目的 13

    2019.04.07 Sunday 16:48
    0



      【質問】


      議論の好きな人で、相手の間違いを正せば、相手は自分の言うことに従ってくれる、と思っている人がいますが、その人はどんな心境なのでしょうか。


      【回答】


      世の中には、相手の間違いを正せば、相手は自分の言うことに従ってくれる、と思っている人がいます。


      そういう人は、自分の思い通りにならないことがあると、相手を責めます。


      そして、相手が負けを認めたら、自分は正しいから、これもしなさい、あれもしなさい、と自分の要求を通そうとします。


      このような人は、議論に勝ったら、相手は自分の思い通りになる、と思うのだと思います。


      議論に勝ったから、と言って、相手は自分を責めなくなるだけで、自分の思いが相手に通る訳ではないのです。


      それでも議論を相手にぶつけて、相手を負かそうとする。


      その時、相手が悪かった、ごめんね、と謝ったら、その人は心が楽になるのでしょうか。


      結局、いくら謝っても、責めてくるだけです。


      それは勝ち負けを問題にして、相手を責めてくる人は、相手に勝ちたいのではなくて、どうしようもない自分の気持ちを吐き出したいだけなのです。


      相手に反撃されたら、気持ち良く自分の気持ちを吐き出すことが出来ないので、まずは相手に勝って、自分の気持ちを吐き出そうとしているのです。


      僧侶


      3.11 から 8年

      2019.03.11 Monday 21:52
      0

        東日本大震災から8年が過ぎました



        8年前


        「あの時もし◯◯だったら…」と

        後悔する人

        救われた人


        さまさまな思い。。。



        …………………



        人生にはいつも分かれ道があります

        Aという選択

        Bという選択


        常に選択の繰り返し。


        どんな選択をしても結局は

        実は人生は変わらないのではないか

        と思うことがあります


        その人の目的地が同じであれば

        そこへの道はどこを通っても

        つく場所は同じなように…


        私は

        苦しみには意味があるといつも

        思います。


        苦しみはなくならない

        でもその苦しみの意味を見つけることが

        苦しむ理由じゃないかと

        私は思います。


        苦しみを避けることはできない

        なら。向き合ってみる。







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        相手に感じるものは私の心 12

        2019.02.13 Wednesday 12:47
        0


          【質問】


          相手を通して、自分を見ている、ということについて、教えて下さい。  


          【回答】


          人は自分の心で、世界を見ます。少し自分のことを冷たくされただけで、私達は唯識で、相手は自分のことが嫌だから、こんなことをしたんじゃないか、と思ってしまうことがあります。


          相手は、自分のことを嫌ではないのか、と思う心が唯識です。


          このように思うのは、日頃から、相手は自分の存在を嫌だと思っているのではないか、という声なき声が聞こえているから、ちょっとした縁でも、そのように思えてしまうのです。


          本当は、相手は私のことを嫌とは思ってはいないかも知れないのです。


          それどころか、逆に大事な存在だと思っているかも知れないのに、自分の思い込みで、相手はこう思っているのだ、と思ってしまうのです。


          自分の思い込みを信じて、本当はそれは違うのではないか、と思うことがないのです。


          そして、自分のことを嫌だと思っているに違いない、ということを前提として、こんな風に思われるならば、もうこの人と一緒にいたくないと思ってゆくのです。


          他人の心は、本当は分からない。


          だから、この人はこう思っているのではないかと、他人の心を判断しているのは、他人の心を通して、実は自分の心を見ているだけです。


          つまり、相手は、こういう人間だ、ということではなくて、自分はこういう人間だ、ということです。


          だから、それに対して、あれこれ思うのは、自分に対して思っていることなのです。


          例えば、相手は自分のことを嫌だと思っているのではないか、と思うのは、自分が思い通りにならない相手に対して、


          それが自分であれ、他人であれ、嫌だと思っていることであり、そんな嫌なものに対して、見たくないと思っている、ということです。


          思いを見れば、自分の心が分かります。


          唯識の教えを思い出し、自分が見ている相手は、自分なのだと思って、自分の心を見てゆかなければならないな、と知らされます。



          僧侶

          甘える…その奥の心理

          2019.02.12 Tuesday 12:05
          0

            一年で一番寒い2月ですが

            今日の仙台は日差しがさしてます


            関東は昨日雪が降ったみたいですね

            東北人の私達は慣れてますが

            慣れない雪道足元どうぞ気をつけてください



            本当に親というものは

            何年たっても離れて暮らす

            子どものことを一日も思い出さない日は

            ないですね〜

            我が子を思う母心でした(*´-`)




            ……………



            最近ある出来事があり

            「甘える」ということを

            じっくり考えさせれる日々ありました



            皆さまが普段使っている

            「甘える」=「頼る」

            と思ってますよね


            わたしは最近の経験から

            甘えるとは相手に頼るのはなく


            大人が大人に甘えるとき

            それは「相手を支配したい」という

            思いが隠れてると感じました


            例えば

            妻が夫に甘えられていると感じて

            腹が立ったとき

            また

            上司が部下に甘えられていると感じて

            嫌な気持ちになったとき


            それは

            「支配されている」と

            人は感じるのではないかと思います


            だから人によっては

            甘えられてると違和感や嫌悪感に

            なるのではないか…



            甘えてると思われてる本人は

            甘えてるつもりはない。

            しかし

            甘えてると言われたとき

            それを「支配しょうとしている」という言葉に置き換えてみるとしっくりくる。。



            これは

            受け取る側の認識にもよる時もある


            相手は甘えてないのに

            嫌な気持ちになるとき

            自分が支配されていると認識してしまう


            多くの人間関係は

            支配する側とされる側で成り立つことが

            よくある


            威圧的に相手に言ってるときは

            わかりやすい


            むしろ厄介なのは

            「甘えという支配」かもしれない









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