他人が許せない正体は

2017.09.16 Saturday 19:27
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    【質問】


    他人を許せたら、自分も許せる、と聞きましたが、どういうことなのでしょうか?  


    【回答】


    他人を許せたら、自分も許せる。自分の存在を否定してくる人がいるからこそ、自分が知らされる。


    これが仏教の教えです



    普段、私達は、自分のことを善人だと自惚れていますが、一度、自分のことを否定してくる人と出会ったならば、そんな優しい心は、どこへやら、で、吹き飛んでしまいます。


    自分の中から、醜い感情が吹き上がって来ます。


    その時、多くの人は、自分はそんな酷いことを思う人間ではないのに、あの人がこんなことをするから、こんな醜い感情が吹き上がってきたのだと思って、相手を責めてしまいます。


    しかし、自分に、元々、そんな醜い感情が存在していなかったならば、縁が来ても吹き上がることはないのです。


    そんな感情が吹き上がる、というのは、自分に元々、そんな感情があったからであり、それが縁に触れて、見えただけです。


    つまり、阿頼耶識に、過去に行った経験として、業種子が、薫習されていたのです。


    そう思ったら、自分とは、こんな人間なのだな、と思って受け止めるしかありません。


    人間とは、とかく善人というところに立って、他人を見下していたいものです。


    でも、醜い感情を受け入れてしまったら、それが出来なくなる。


    それでも、受け入れたならば、この世に許せない人はいなくなるのです。


    他人が許せない、というのは、自分の醜い感情を許せない、ということです。


    他人を許せたら、自分も許せる。


    自分を許せるようになると、自分の醜い感情が見えても、己れ自身が苦しむこともなくなるのですね。



    僧侶

    自分と向き合うとは

    2017.08.01 Tuesday 15:56
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      【質問】

      仏教でいう

      分別心について、

      詳しく教えて下さい。

      【回答】

      私達は、分別心によって、世界を善と悪、価値のあるものと価値のないものに、というように、二つに分け、悪を否定し、価値のないものを馬鹿にしています。

      そうすることによって、いつも善人や価値のある方に自分を置き、自分は馬鹿にされたり、否定されるような人間ではないのだと思って、心の平安を保っているのです。

      だから、いざ現実に自分にも悪があると分かりそうになると、どうしても、その現実を認めることが出来ません。

      なぜなら、その現実を認めるとなると、今まで「自分は悪などしない」と思って、悪を責めに責めてきた日々の思いが、一気に自分に跳ね返り、突き刺さってくるからです。

      つまり、自分が善だと思って、相手の悪を責めていた分だけ、自分が悪になると、責められているように感じるのです。

      そこで、私達は現実を歪めて、自分に都合の良いように見ようします。

      そして、そうすることによって、自分に向けられた責められるような苦しみから、一時的に逃げようとするのです。

      しかし、どんなに苦しみから目を逸らし、見えなくなったとしても、苦しみは消えることはありません。

      今度は、苦しみが不安となって、たとえ現実には誰も責めている人や、馬鹿にしている人がいなかったとしても、

      「誰かが自分を責めているのではないか」とか、「馬鹿にしているのではないか」という不安が付きまとい、離れることはありません。

      それでも逃げたら楽になれると思って、この不安を誤魔化そうとして欲に走り、目先の快楽を貪ってしまうのです。

      心は苦しみから逃げると弱くなり、たいしたことがない苦しみでも激痛に感じて耐えられなくなる。

      だから、一度苦しみから目を逸らし逃げてしまうと、もう現実と向き合うことは出来なくなり、これ以上は、逃げられなくなる限界まで、欲に走ろうとしまいます。

      当の本人にしてみれば、そうやって逃げているうちに、誰かが何とかしてくれないかな、と淡い期待をしているのですが、

      欲に走っても、問題を先送りにしただけで、何かが変わることがないのが、現実です。

      むしろ、そうやって欲を貪っている間に、問題は深刻化していき、現実と向き合うことを苦しくさせてゆきます。

      しかも欲に走って、どんなに逃げたとしても、現実では問題が深刻化していることに薄々気付いているので、余計、不安になり、その不安を誤魔化そうとして、ますます欲にのめり込んでゆくのです。

      そうやって、もう、にっちさっちも行かなくなるところまで、欲に走ったあげく、ボロボロになった現実と苦しみに、一秒も耐えられないほど弱くなってしまった心で向き合わなければならないのです。

      その苦しみは想像を絶するものがあり、死んだら楽になれると思って、自ら命を絶ってゆく人もいますが、肉体を失っても苦しみは消えることなく、

      まさに、天まで届く火柱に、この身を焼かれて、果てしないほどの長い間、苦しみ続けなければならないのです。

      逃げて、逃げて、その時は一時的に楽になったとしても、後から、その何倍もの苦しみがやってきて、苦しまなければならない。

      だから、どんなに苦しくても現実と向き合わなければなりません。

      では、なぜ私達は、これほどまでに、ありのままに現実を見ることができないのか。

      根本的な原因は、分別心にあります。

      唯識では、分別心を正確に言いますと、虚妄分別(こもうふんべつ)、あるいは、妄分別(もうふんべつ)と言います。

      この分別心によって世界を二つに分け、悪を否定し、正しいところに置こうするから、世界が歪み、不安が生み出されます。

      問題にするべきことは、分別心でもって、心を善悪に分ける自分のあり方です。

      苦しみは、現実世界が生み出していると思って、現実世界・状態が変われば、苦しみはなくなると思っているのが、私達の迷いの世界です。

      私達は、原因が自分の心にあると思いたくないので、目を外に向け、「自分を不安にさせる奴がいる」と思って、お金や権力などの力を手に入れて、

      この現実世界を思い通りに動かそうとしてしまいます。

      このように、苦しみや幸せは、自分を取り巻く環境によって生み出されるものだと思っている人達に、苦しみや幸せは、心が生み出すものであると教え、

      いくら外を問題にしても楽になるどころか、苦しみは深くなるばかりである、と知らせ、外に向いた目を自分の心に向けさせる。

      そして、不安や苦しみの原因である分別心を、一つ一つ取り除いてゆき、苦しみから離れさせてゆく。



      僧侶

      好かれない人

      2017.07.26 Wednesday 06:37
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        【質問】


        私は、他人に好かれません。仏教の視点から、何が原因なのでしょうか、教えて下さい。


        【回答】


        他人に好かれない原因を、仏教の視点から、歌で示してみましょう。


        好かれない、他人の欠点、あげる人。


        好かれない、他人の出世を、妬む人。


        好かれない、他人をさげすみ、差別する。


        好かれない、他人が信用、出来ぬ人。


        好かれない、自慢話で、自惚れる。


        好かれない、我がまま勝手で、骨惜しみ。


        好かれない、儲からなければ、しない人。


        好かれない、奉仕の心、欠けた人。


        好かれない、他人の不幸を、知らぬ顔。


        好かれない、下をあなどり、上にへつらう。


        好かれない、仏頂面で、愛嬌なし。


        好かれない、他人に同情、しない人。


        好かれない、陰口、告げ口、ウソをつく。


        好かれない、他人のモノなら、浪費する。


        好かれない、独りよがりが、村八分。


        好かれない、他人の意見を、崩す人。


        好かれない、頑固一徹、通す人。


        好かれない、他人と和合の、出来ぬ人。


        好かれない、我利我利根性、持った人。



        僧侶

        他人がわるく見えるとき

        2017.06.19 Monday 16:57
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          【質問】


          相手の言動で

          嫌な所が見えたならば、相手を責める気持ちが出てきます。

          どうすれば良いでしょうか?


          【回答】


          自分が相手を否定するのは、相手を通して、自分の嫌な所が見えているからであり、


          自分はそんな嫌な所、悪い所は持っていないと思いたいからこそ、相手を責めるのだ、という事を、まず理解することが大事です。


          私達は、相手を責めるのは、自分は相手がやっているような悪いことを自分はしていないと思うからであり、


          もし自分が相手と同じようなことをしているのなら、泥棒が他人を泥棒扱いすることは出来ないように、他人を非難する事は出来ません。


          しかし、私達は、自分が相手と同じような事をやっていても、自分はそんな悪い人間だと認めたくないので、相手を責めることによって、自分を正当化してしまうのです。


          仏教の教えから言えば、相手を通して見えるものは、自分の中に収まっているものであり、自分が心で思っていないものは、相手の姿を通して、見えることはありません。


          だから、真実から言えば、自分はあんな酷いことはしないと思って、責めても良いことは一つもありません。


          相手の言動を通して、嫌な所が見えたならば、相手を責めるのではなく、他人の振り見て我が振り直せで、自分の心を反省する事が大事なのです。



          僧侶

          不安と向き合う

          2017.06.07 Wednesday 17:24
          0

             

            【質問】

             

            自分の不安の原因は、外からやってくるのではなく、心の内にあると気付けば、どうなっていくのでしょうか?

             

            【回答】

             

            自分の不安の原因は、外からやってくるのではなく、心の内にあると気付くと、苦しくても、自分の不安の原因と向き合って、解決していこうとします。

             

            私達は、誰しも、自分の中に、自分でも許せない心を持っています。

             

            たとえば、他人に迷惑をかける自分とか、他人に助けてもらわなければ生きてゆけない弱い自分とか、

             

            他人を傷つけて、自分の気持ちを分かってもらおうとする自分とか、自分を守る為に、平気で嘘をつく自分とか、

             

            そのような醜い自分、汚い自分、恐ろしい自分を心の中に抱えています。

             

            私達は、そんな自分を見たくないので、目を外に向け、外界の華やかな世界を追い求めてしまいます。

             

            しかし、どんなに醜い自分と向き合いたくないから、と言って、目を逸らしていても、問題が解決することはありません。

             

            それどころか、目を逸らし、逃げれば逃げるほど、内なる不安は、どんどんと吹き上がり、問題は日を追うごとに深刻になってゆきます。

             

            しかし、どんなに不安の原因は、自分の心にある、と気付いても、私達には、その不安をどうすることも出来ません。

             

            何故なら、不安と向き合う為には、功徳が必要だからです。

             

            ここで功徳とは、安心感のことで、他人から認めてもらうことによって得られる心の余裕のことです。

             

            私達は、心に余裕があってこそ、不安と真正面から向き合うことができます。

             

            しかし、私達のいる世界は、皆、自分が認めてもらいたい一杯で、相手のことを認めてあげようと思う人は、殆どいません。

             

            ですから、そんな世界の中で、不安と向き合って問題を解決することは、ただ心が傷つき、苦しいだけなので、問題から目をそらし、

             

            欲を満たすことによって、不安を誤魔化そうとするのも、仕方ないことかも知れません。

             

            ここで大事なことは、その人が不安と向き合えるように、心を支え、その人がどんなことをしても、決して見捨てることなく、認め続けることによって、功徳を与えることの出来る人の存在です。

             

            このような存在を、仏教では善知識とか、善友と言いますが、その善友がいなければ、不安と向き合い、問題を解決してゆくことは、中々、出来ません。

             

            また、善知識と出会って、認めてもらえる環境の中にいても、今まで何度も他人から見捨てられてきたり、都合の悪い人を見捨ててきた人は、

             

            善友が、どんなに無条件で認めようとしても、どうしても信じることができず、問題を自分の力で、何とかしようとしてしまいます。

             

            これを仏教で、自力と言いますが、この自力の強い人は、苦しい時ほど、自分で問題を抱え込んでしまい、善知識に頼ろうとはしないのです。

             

            だからこそ、善友は、このような自力の強い人に対して、焦ることなく、温かく接し、自分は絶対に見捨てられないのだ、と信じてもらえるまで、見守り続けなければならないのです。

             

            このようにして、自分の問題と向き合い、一つ一つ解決することによって、初めて、心が穏やかになり、他人の心の渇きを癒すことが出来るような、潤いのある人間になることができるのです。

             

            僧侶

            怒りを 観じる

            2017.06.03 Saturday 22:11
            0



              【質問】


              仏教で教えられる、怒りの解決方法を教えて下さい。


              【回答】


              怒りは、心の猛毒であり、自分を破壊する恐ろしい心だと、まず、自覚して頂きたいと思います。


              怒りとは、自分の心の中から、生まれたものですから、怒りの解決方法は、心の毒、そのものを抜くことしか、ありません。


              その怒りの解決方法とは、お釈迦様が悟りを開かれた方法である、毘鉢舎那(ビバシャナ)の実践、つまり、今の瞬間の自分に気付き、物事をあるがままに明らかに観る、ことです。


              これが、世の中で、一番科学的な、怒りの毒を抜く方法なのです。


              ですから、怒りが生まれたら、「あっ、怒りだ、これは怒りの毒だ」と、すぐに自分を観るのです。


              怒り、そのものを観察し、客観視出来るように、努めてみてください。


              「今、この瞬間、私は気持ちが悪い。これは怒りの感情だ、ということは、私は怒っているのだ」と、外に向いている自分の目を、すぐに内に向けるのです。


              最初は、「他人が何かを言うと、すぐに私は怒ってしまう」、というところまでは、仕方がありません。


              しかし、それからも、延々と人の言葉に振り回されて、思い出し、捉われるのではなく、怒った瞬間に、これは怒りだ、と観ていくのです。


              そうすれば、不思議と、怒りは、生まれた瞬間で消えてしまうのです。


              消えてしまえば、心は次の瞬間を感じようと、することが出来ます。


              怒りが消えると、凄く気持ちが良いものです。




              そこまで行くと、自分もコントロールがうまいものだ、と自分を褒めてあげることが出来ます。


              そうなれば、いつでも、怒りの感情に悩まされることはなく、穏やかに人の話を聞いてあげることが出来ます。


              これが、お釈迦様が、怒りを治める方法です。


              自分の心を観る、心を観察することで、怒りは消えるのです。


              簡単で、瞬時に出来ることで、心理学の知識も、カウンセリングも、全く必要ありません。


              仏教では、今の自分に気付いていない人のことを、愚か者、死んでいる人、寝ている人、と言う意味の言葉で呼んでいます。


              怒ったその瞬間に、自分の怒りに気付けない人は、怒りの塊になります。


              それで、ひとしきり、怒ったあとで、「ああ、腹が立つ」などと、自分が怒ったことを自覚するのです。


              ひどい時には、三年経っても、「あの時は腹が立った」などと、思い出して、また怒って、そのたびに自分を何度も破壊することになります。


              自分をあるがままに観る、客観視する。ただそれだけです。


              このことを、しっかりと覚えておいて頂きたいと思います。


              僧侶


              自信がない人

              2017.05.30 Tuesday 19:47
              0


                東洋の心理学



                私は無宗教なのですが

                世の中で一番尊敬している

                お釈迦様の声を

                皆様にもお届けしようと思い

                このコーナーをつくりました


                約100年前のフロイトや

                ユング、またアドラーよりはるか昔

                …2600年前 に

                「東洋の心理学」をすでに

                説いていました


                お釈迦様は慈悲心のある方ですが

                時に厳しい言葉に

                感じるかもしれません

                それが私にはとても

                必要な智慧です


                 

                Q&Aスタイルになってますので

                興味のある人は

                どうぞご覧ください(^^)

                 


                 

                【質問】

                自分に自信がない人とは、どういう心境なのでしょうか?

                【回答】

                よく自分に自信がない、という人がいます。それは、人は自分をよく見せなければ、まわりの人は自分のことを見捨てるのではないか、と思っている人です。

                いつも自分をよく見せることが出来ないから、気を抜いて、楽になりたい時は、一人になろうとします。

                一人になれば、誰からも否定されません。しかし、一人は寂しいものです。

                だから、寂しくなると、人を求めて人の中に入ってゆくのです。

                その時、ありのままの自分を見せてしまったら、まわりの人から否定されるのではないか、と不安だから、格好つけて自分をよく見せようとするのです。

                こうなれば、人の中にいる時は、寂しくありませんが、息苦しくて一人になりたくなり、一人になると、誰にも気を遣わなくて楽だが、寂しくなります。

                寂しいから、欲に流れる。欲に流れている間は、時間を忘れることが出来ます。

                そうして、あっという間に、時間が過ぎていきます。そして、欲に流れた分だけ、心の中に寂しさが溜まってゆくのです。

                これが、仏教で言う、穢れ、となるのです。心が穢れると、何もしたくなくなります。

                どれだけ時間があっても、いつまでも欲に流れて、まるで夢の中の世界にいるような感じなのです。

                そうやって、欲に流れてしまうと、現実世界に戻ることが、面倒臭くなります。

                時間があるほど、欲に流れて、現実をいつまでも、先送りにし続けます。

                その間に、心は、どんどんと、穢れていきます。

                このようになるのは、すべて、人の中にいて、安心することができないからです。

                だからこそ、人の中にいて、自分をさらけ出す勇気が必要です。

                ありのままの自分を見せたから、と言って、自分が捨てられる訳ではありません。

                捨てられる、と思っているのは、自分の思い込みの中のことです。

                この真実に気づくのは、簡単なようでいて、実は難しいですが、それは自分をよく見せようとする無駄な努力から、離れないといけないからです。


                僧侶

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