不安と向き合う

2017.06.07 Wednesday 17:24
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    【質問】

     

    自分の不安の原因は、外からやってくるのではなく、心の内にあると気付けば、どうなっていくのでしょうか?

     

    【回答】

     

    自分の不安の原因は、外からやってくるのではなく、心の内にあると気付くと、苦しくても、自分の不安の原因と向き合って、解決していこうとします。

     

    私達は、誰しも、自分の中に、自分でも許せない心を持っています。

     

    たとえば、他人に迷惑をかける自分とか、他人に助けてもらわなければ生きてゆけない弱い自分とか、

     

    他人を傷つけて、自分の気持ちを分かってもらおうとする自分とか、自分を守る為に、平気で嘘をつく自分とか、

     

    そのような醜い自分、汚い自分、恐ろしい自分を心の中に抱えています。

     

    私達は、そんな自分を見たくないので、目を外に向け、外界の華やかな世界を追い求めてしまいます。

     

    しかし、どんなに醜い自分と向き合いたくないから、と言って、目を逸らしていても、問題が解決することはありません。

     

    それどころか、目を逸らし、逃げれば逃げるほど、内なる不安は、どんどんと吹き上がり、問題は日を追うごとに深刻になってゆきます。

     

    しかし、どんなに不安の原因は、自分の心にある、と気付いても、私達には、その不安をどうすることも出来ません。

     

    何故なら、不安と向き合う為には、功徳が必要だからです。

     

    ここで功徳とは、安心感のことで、他人から認めてもらうことによって得られる心の余裕のことです。

     

    私達は、心に余裕があってこそ、不安と真正面から向き合うことができます。

     

    しかし、私達のいる世界は、皆、自分が認めてもらいたい一杯で、相手のことを認めてあげようと思う人は、殆どいません。

     

    ですから、そんな世界の中で、不安と向き合って問題を解決することは、ただ心が傷つき、苦しいだけなので、問題から目をそらし、

     

    欲を満たすことによって、不安を誤魔化そうとするのも、仕方ないことかも知れません。

     

    ここで大事なことは、その人が不安と向き合えるように、心を支え、その人がどんなことをしても、決して見捨てることなく、認め続けることによって、功徳を与えることの出来る人の存在です。

     

    このような存在を、仏教では善知識とか、善友と言いますが、その善友がいなければ、不安と向き合い、問題を解決してゆくことは、中々、出来ません。

     

    また、善知識と出会って、認めてもらえる環境の中にいても、今まで何度も他人から見捨てられてきたり、都合の悪い人を見捨ててきた人は、

     

    善友が、どんなに無条件で認めようとしても、どうしても信じることができず、問題を自分の力で、何とかしようとしてしまいます。

     

    これを仏教で、自力と言いますが、この自力の強い人は、苦しい時ほど、自分で問題を抱え込んでしまい、善知識に頼ろうとはしないのです。

     

    だからこそ、善友は、このような自力の強い人に対して、焦ることなく、温かく接し、自分は絶対に見捨てられないのだ、と信じてもらえるまで、見守り続けなければならないのです。

     

    このようにして、自分の問題と向き合い、一つ一つ解決することによって、初めて、心が穏やかになり、他人の心の渇きを癒すことが出来るような、潤いのある人間になることができるのです。

     

    僧侶

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