自分と向き合うとは

2017.08.01 Tuesday 15:56
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    【質問】

    仏教でいう

    分別心について、

    詳しく教えて下さい。

    【回答】

    私達は、分別心によって、世界を善と悪、価値のあるものと価値のないものに、というように、二つに分け、悪を否定し、価値のないものを馬鹿にしています。

    そうすることによって、いつも善人や価値のある方に自分を置き、自分は馬鹿にされたり、否定されるような人間ではないのだと思って、心の平安を保っているのです。

    だから、いざ現実に自分にも悪があると分かりそうになると、どうしても、その現実を認めることが出来ません。

    なぜなら、その現実を認めるとなると、今まで「自分は悪などしない」と思って、悪を責めに責めてきた日々の思いが、一気に自分に跳ね返り、突き刺さってくるからです。

    つまり、自分が善だと思って、相手の悪を責めていた分だけ、自分が悪になると、責められているように感じるのです。

    そこで、私達は現実を歪めて、自分に都合の良いように見ようします。

    そして、そうすることによって、自分に向けられた責められるような苦しみから、一時的に逃げようとするのです。

    しかし、どんなに苦しみから目を逸らし、見えなくなったとしても、苦しみは消えることはありません。

    今度は、苦しみが不安となって、たとえ現実には誰も責めている人や、馬鹿にしている人がいなかったとしても、

    「誰かが自分を責めているのではないか」とか、「馬鹿にしているのではないか」という不安が付きまとい、離れることはありません。

    それでも逃げたら楽になれると思って、この不安を誤魔化そうとして欲に走り、目先の快楽を貪ってしまうのです。

    心は苦しみから逃げると弱くなり、たいしたことがない苦しみでも激痛に感じて耐えられなくなる。

    だから、一度苦しみから目を逸らし逃げてしまうと、もう現実と向き合うことは出来なくなり、これ以上は、逃げられなくなる限界まで、欲に走ろうとしまいます。

    当の本人にしてみれば、そうやって逃げているうちに、誰かが何とかしてくれないかな、と淡い期待をしているのですが、

    欲に走っても、問題を先送りにしただけで、何かが変わることがないのが、現実です。

    むしろ、そうやって欲を貪っている間に、問題は深刻化していき、現実と向き合うことを苦しくさせてゆきます。

    しかも欲に走って、どんなに逃げたとしても、現実では問題が深刻化していることに薄々気付いているので、余計、不安になり、その不安を誤魔化そうとして、ますます欲にのめり込んでゆくのです。

    そうやって、もう、にっちさっちも行かなくなるところまで、欲に走ったあげく、ボロボロになった現実と苦しみに、一秒も耐えられないほど弱くなってしまった心で向き合わなければならないのです。

    その苦しみは想像を絶するものがあり、死んだら楽になれると思って、自ら命を絶ってゆく人もいますが、肉体を失っても苦しみは消えることなく、

    まさに、天まで届く火柱に、この身を焼かれて、果てしないほどの長い間、苦しみ続けなければならないのです。

    逃げて、逃げて、その時は一時的に楽になったとしても、後から、その何倍もの苦しみがやってきて、苦しまなければならない。

    だから、どんなに苦しくても現実と向き合わなければなりません。

    では、なぜ私達は、これほどまでに、ありのままに現実を見ることができないのか。

    根本的な原因は、分別心にあります。

    唯識では、分別心を正確に言いますと、虚妄分別(こもうふんべつ)、あるいは、妄分別(もうふんべつ)と言います。

    この分別心によって世界を二つに分け、悪を否定し、正しいところに置こうするから、世界が歪み、不安が生み出されます。

    問題にするべきことは、分別心でもって、心を善悪に分ける自分のあり方です。

    苦しみは、現実世界が生み出していると思って、現実世界・状態が変われば、苦しみはなくなると思っているのが、私達の迷いの世界です。

    私達は、原因が自分の心にあると思いたくないので、目を外に向け、「自分を不安にさせる奴がいる」と思って、お金や権力などの力を手に入れて、

    この現実世界を思い通りに動かそうとしてしまいます。

    このように、苦しみや幸せは、自分を取り巻く環境によって生み出されるものだと思っている人達に、苦しみや幸せは、心が生み出すものであると教え、

    いくら外を問題にしても楽になるどころか、苦しみは深くなるばかりである、と知らせ、外に向いた目を自分の心に向けさせる。

    そして、不安や苦しみの原因である分別心を、一つ一つ取り除いてゆき、苦しみから離れさせてゆく。



    僧侶

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